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宮古島の英雄である、久松五勇士(ひさまつごゆうし)をご存知でしょうか。
おそらく、宮古島の歴史上の人物の中でも、1番知名度が高いのではないでしょうか。
同じ名前のお菓子がお土産品としても有名ですし、久松五勇士を讃えた歌もあります。
私も地元出身者なので、その存在はもちろん知っていましたが、東京に出てきてから、とある小説に記載されていることを知りました。
逆に出身者なのになんで知らないの?と言われて恥ずかしい思いもしました。。。
ここでは、そんな久松五勇士について詳しくまとめました。
久松五勇士とは?
久松五勇士とは、「久松という地名の五人の勇士」という意味です。
1905年日露戦争時代。
敵(ロシアのバルチック艦隊)が近くの海にいることを知った宮古島の住民から選ばれた若い男性5人が、通信施設のある石垣島まで小さな漁船を漕いで知らせに行ったという武勇伝です。
1905年というと、今から110年以上前。
・5人で手漕ぎ舟(サバニ)を使い、徹夜で170キロの長い距離を漕ぎ切ったこと。
・その後、通信施設のある石垣島の郵便局まで30キロ歩いたこと。
このことが話をドラマチックにしています。もし、宮古島に通信施設があったらそれで終わっていた話ですから。。。
それにしても人間の潜在能力ってすごいですよね。
「敵が来たことを知らせる。」その使命感でここまで出来るわけです。
実は、石垣島から東京への電信よりも、日本の貨客船である信濃丸からの通報が数時間前にあったので、直接的には役に立たなかったとされています。
しかし、同日に同じ通報があったことで、「これは誤報ではない」と信憑性は高まったはずですよね。
この出来事は、当時はそこまで話題になりませんでしたが、昭和に入って軍事色が強まって来た頃に、再びこの話が掘り起こされました。
そしてなんと当時の教科書にも載り、沖縄県知事からも金一封が送られました。
そして、昭和九年、大阪毎日新聞が大きく報道すると日本中にこの事実が知られ、この5人(当時はすでに1人亡くなっていた)は、一躍島の英雄となりました。
遠く離れた島民であっても国のためにここまでやったんだという話が、第二次世界大戦の「お国のために」の風潮と合致したということなんですね。
戦後、教科書からも消されてしまい、日本全国の知名度も薄れてしまいましたが、宮古島では、今もなお島の英雄という認識が強くあります。
東京で衝撃を受けた出来事
私が衝撃を受けたのが、美容院を経営しているというとある社長さんに初めて会った時のこと。
自己紹介で「宮古島出身です」と伝えると、「久松五勇士のとこだよね」との返答が。
「よくご存知ですね〜」と言うと、「だって坂の上の雲に載っているからね。」と。
私はその小説を読んだことがなかったので、「へ〜そうなんですね〜」と答えましたが、そこからが大変でした。
「え?知らないの?なんで?地元出身者なのに?信じられない!」このような感じで繰り返し言われてしまったのです。
まるで、「日本人なのにドラゴンボール読んだことないの?」くらいの驚きようでした。
この事件?をきっかけにきちんと知らないとな〜と思い、「坂の上の雲」を全巻買って読みました。
「坂の上の雲」に掲載
「坂の上の雲」とは、司馬遼太郎さんが書いた歴史小説です。
明治維新から日露戦争の日本を、臨場感たっぷりに描いています。
NHKでも2009年から2011年にかけて、本木雅弘さん主演で放送されましたね。
なかなかの長編で、歴史小説を初めて読む私にとっては、難しい用語も多く、読破するのに時間がかかってしまいました。
しかし、読んだ感想としては「日本人として生まれたなら一度は読むべきだ」と思いました。
当時の日本を知って今の日本を見るとまた感慨深いものがあります。
その中で、久松五勇士は余談という位置付けではありますが、社長さんの言う通り、しっかりと書いてありました。
目次の項目にも「宮古島」とあり、18ページに渡って詳細に描かれています。
そこには、「そうだったんだ!」と思うような細かい内容が記されていて、取材の力の凄みを感じました。
その中で一番衝撃だったのは、この5人がこのような偉業を達成したにも関わらず、「国家機密だから」ということを理由に、30年ほど家族にさえも口外しなかったこと。
そのため、日にちや時間が当人たちの中でも曖昧で、八重山郵便局にも記録が残っておらず、電報を受け取った大本営も何時に入ったのか分からないとのこと。
もしかしたら、電報は日本海海戦後かもしれないと言う説まであり、真実は闇の中といったところです。
久松五勇士のまとめ
以上、久松五勇士についてでした。
宮古島には久松五勇士を讃えたモニュメントが、久松漁港のすぐそばに建てられています。
サバニを白い5本の柱で支えていて、久松五勇士を彷彿させるデザインが素敵です。
実際に見ると、想像より小さいのでビックリしますが、逆にこんな小さな舟でこの大海原に出発したんだなぁと思うと、命の覚悟が見えます。
また、到着場所の石垣島にも「久松五勇士上陸之地」(じょうりくのち)という石碑が建てられています。
私は、石垣島にもこのような石碑が建てられていることを知りませんでした。
機会があれば、ぜひ立ち寄ってみようと思います。
宮古島の住民であれば誰もがその存在を知っていますが、何十年も前の話であるため、(私も含め)大まかな内容しか分からない方が大半ではないでしょうか。
もっと深く久松五勇士を知るためには「坂の上の雲」を読むと、臨場感たっぷりで理解することが出来るので、ぜひ読むことをおすすめします。
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