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宮古島もアメリカ領だった?沖縄本島との違いと当時の暮らし

1945年の敗戦から1972年までの27年間、沖縄はアメリカ合衆国に統治されていました。

ほんの45年ほど前の話です。

ここでは、そのアメリカ統治時代はどのようなものだったのか。また、宮古島はどうだったのかについて詳しくまとめました。

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アメリカ統治時代

国際法上では、植民地のようなアメリカ領土になった訳ではなく、日本領土のままで琉球政府が置かれ、沖縄県民は日本国籍のままでした。

しかし、実質的にはアメリカ領土のような形を取られていました。

具体的には、通貨はドルを使い、交通は右側通行、そして沖縄以外に出る時はパスポートが必要でした。その逆も然りで、他の都道府県から沖縄県に行くためにもパスポートは必要でした。

しかし、教育基本法に「日本国民としての教育を行う」と定められ、公用語も英語に切り替えられることなく、ラジオやテレビも日本語、天皇誕生日も祝祭日とされました。

ですので、アメリカ統治ながら、日本人として生きていた訳なんですね。

1958年には、沖縄県代表として甲子園にも出場できましたが、持ち帰ろうとした甲子園の土を、アメリカの法律で「外国の土」として判断され、持ち込み禁止とされました。

高校球児達が、帰りの船の上から甲子園の土を海に流す姿は、テレビで何度も流されていますので有名なシーンですね。

これを機に返還運動が一気に盛り上がり、遂には1972年、日本に返還されることになりましたが、アメリカ軍の基地は残ったまま現在に至ります。

→沖縄の高校野球についての詳しい記事はこちら「沖縄の高校野球の歴史から優勝まで。悲願の旗が海を渡った日

宮古島にはその基地がないので、アメリカ統治をされていなかったと思われがちですが、その範囲は「北緯29度以南の鹿児島県奄美諸島と沖縄県」となりますので、宮古島もアメリカ統治されていました。

しかし、基地の影響を直接受けていないため、沖縄本島とはまた違ったものだったと思われます。

叔父さんに当時の暮らしはどうだったのかと聞いてみたところ、ドル生活・右側通行くらいで、その他は別に普通の暮らしだったということでした。

沖縄本島と基地

宮古島に生まれ育った私ですが、その後、6年間沖縄本島に住んだので、その違いをしみじみと感じることができました。

まず、生活していると、基地の存在が身近で大きいことが分かります。

基地内外を米兵とその家族が自由に行き来していますし、車も多い。昔は、我が物顔で狂ったような運転も多かったとタクシーの運転手さんから聞きました。

今でも「Yナンバー(米軍関係者の私用車)には気をつけて」と良く言われます。

そして、アメリカ人向けの食べ物も多いです。その食べ物の代表として、タコライスが有名ですが、宮古島ではあまり食べたことがありません。

ハンバーガーショップやステーキハウスも多く、ドライブスルーが当たり前な生活です。

基地内のアメリカ人と結婚してそこで生活している方も普通にいますし、中で仕事をしたり、外で商売をしたりする人もいます。

また、米兵向けの専門ラジオも放送され、最新のアメリカの音楽が流れていたため、それが現在の沖縄の音楽にも影響を与えていると言われています。

そのため、ロック音楽をメインとした、演奏ができるクラブやライブハウスも多いです。

嘉手納基地近くのとあるライブハウスに行ったことがあるのですが、ステージの前に檻があって、「当時は、下手な演奏だとビール瓶が飛んできたからそれがある」とお店の方に説明された時は衝撃を受けました。(今は飛んでくることはないようです。)

また、医療もアメリカの技術が取り入れられたため、感染症に苦しめられていた住民の衛生事情が劇的に良くなり、寿命が30年延びたとも言われています。

沖縄が、復帰後、平均寿命ランキングでトップになった理由はその影響が大きいかもしれませんね。しかし政治的に問題なのか、あまりそのことは報道されません。

その反面、騒音問題や悲しい事件が後を経たないことも事実。犯罪を犯しても基地内に逃げればセーフ、裁判になっても無罪になるなど、泣き寝入りを強いられました。

良くも悪くも、沖縄本島に存在し続ける基地の影響は、果てしなく大きいんですね。

それに比べると、宮古島はその影響は少ないと感じます。

基地がないので、米兵がいませんからYナンバーの車も走っていませんし、アメリカナイズされた食べ物もあまり見かけません。

公用語は日本語と方言

そんな時代を生きてきた親世代が良く言うのは「公用語が英語になっていたら良かった」ということ。

つまり、母国語が日本語で、公用語が英語、どちらも不自由なく話すことができる状態です。

現在、沖縄は日本の中で経済面が大きく遅れ、年収ランキング最下位、失業率が高く、最低賃金も低いです。

その理由が、日本が高度経済成長の真っ只中、沖縄は基地依存経済にさせられたから。

しかし、もし、まかり間違って英語も話せるような教育がされていたら、今の情報時代の中で確実に経済面で潤っていたことでしょう。

世界中の情報を入手でき、世界を相手に出来るビジネスが成長していたかもしれません。

まぁそんなアメリカにとって脅威的なことが容認される訳がないと思いますが。

沖縄はもちろん日本人が英語を話せないのは、GHQや日本政府の方針だという都市伝説もあるくらいですから。

なので、現在の日本では、国の教育に頼ることなく、英語は自分自身の力で取得せざるを得ないといったところですね。

まとめ

英語こそ話せるようになれなかったものの、良くも悪くもアメリカ統治の影響を受けてきた沖縄。

その中には、基地の影響は少ないですが、宮古島も入っています。

こういった歴史を辿ってきたことを知ると、また違った視点で沖縄本島や宮古島を見ることができますね。

過去の積み重ねから繋がっている今という時間に、想いを馳せてみるのも良いかも知れません。
  

宮古島の戦争の詳しい状況については「宮古島も戦場になったのか?離島での苦しい状況を詳しく調査」の記事を参考にしてみてください。

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